メジャーリーグ屈指の名門、ロサンゼルス・ドジャース。その長い歴史の中で、背番号17は多くの才能ある選手たちによって彩られてきました。近年では大谷翔平選手の加入により、世界中で最も有名な背番号の一つとなりましたが、この番号にはかつてのレジェンドたちの熱い思いも刻まれています。
この記事では、ドジャース17番歴代の選手にスポットを当て、時代を彩ったスターたちの活躍や心温まるエピソードを分かりやすく解説します。球場でユニフォームを見かけた際、その背番号に隠された物語を知っていると、野球観戦がもっと楽しくなるはずです。古き良き時代の名投手から現代のスーパースターまで、17番の軌跡を一緒に辿ってみましょう。
ドジャース17番歴代に名を連ねる名選手たちの軌跡

ドジャースの背番号17は、これまでに40人以上の選手が着用してきました。チームの拠点がニューヨークのブルックリンにあった時代から、現在のロサンゼルスに至るまで、この番号は常にチームの重要な役割を担う選手たちに受け継がれてきたのです。
17番を背負った選手たちの全体像
ドジャースの歴史を紐解くと、17番は投手から捕手、内野手まで幅広いポジションの選手に使われてきました。1930年代のブルックリン時代から使用されており、初期の頃は数年単位で選手が入れ替わることが多い番号でもありました。しかし、その中には10年以上にわたってこの番号を守り続けたレジェンドも存在します。
近年のファンにとっては、17番といえば強力な投手やチームを支える捕手のイメージが強いかもしれません。特に、特定の選手が長く着用することで、その番号が選手自身のキャラクターと結びつき、ファンの記憶に深く刻まれるようになりました。歴代の着用者一覧を見ると、ドジャースという球団の層の厚さを改めて感じることができます。
【ドジャースの背番号17を着用した主な選手】
・カール・アースカイン(投手)
・リック・デンプシー(捕手)
・石井一久(投手)
・A.J.エリス(捕手)
・ジョー・ケリー(投手)
・大谷翔平(指名打者・投手)
背番号が持つ特別な意味と伝統
メジャーリーグにおいて、背番号は単なる識別票以上の意味を持つことがあります。ドジャースの17番もその一つで、名選手が活躍することでその番号に「格」が備わっていきました。かつてのスターたちが築き上げた伝統があるからこそ、新しく加入する選手にとっても誇りを持って身につける番号となっているのです。
また、ドジャースは永久欠番が多い球団としても知られていますが、17番は現時点では永久欠番ではありません。しかし、近年の圧倒的な活躍によって、将来的にこの番号が特別な扱いを受ける可能性は非常に高いと言えるでしょう。歴代の選手たちが繋いできたバトンが、今まさに最高潮の輝きを放っているのです。
1940年代から現代までの変遷
1941年に最多勝を獲得したウィット・ワイアット投手が17番を着用していた時期は、チームがワールドシリーズ進出を果たすなど躍進した時代でした。その後、戦後の黄金期を支えた選手たちがこの番号を継承し、ドジャースの象徴的な数字としての地位を固めていきました。
2000年代に入ると、日本人選手の活躍やファンに愛されるベテラン捕手の登場により、17番はさらに親しみやすい番号へと変化しました。時代のニーズに合わせて、17番を纏うヒーローの姿も形を変えてきたのです。歴史を知ることで、現在の17番がどれほど重みのあるものかが見えてくるはずです。
伝説の右腕カール・アースカインとブルックリン黄金時代

ドジャースの17番を語る上で、絶対に外せないのがカール・アースカイン投手です。彼は1940年代後半から1950年代にかけて、ブルックリン・ドジャースの黄金期を支えたエースの一人として君臨しました。
20勝達成とノーヒットノーランの偉業
アースカインは1953年にシーズン20勝を挙げるという驚異的な記録を達成しました。当時のドジャースは強力な打線を誇っていましたが、彼の安定した投球こそがチームの勝利の要だったのです。また、現役生活の中で2度のノーヒットノーランを達成しており、その実力は当時のメジャーリーグでも屈指のものでした。
彼の投球術は、精密なコントロールと鋭いカーブを武器にしていました。大舞台に強く、ワールドシリーズでも素晴らしいパフォーマンスを披露したことで、ファンの心に強く焼き付いています。彼が12シーズンにわたって17番を背負い続けたことは、この番号に「エースの風格」を植え付けるきっかけとなりました。
人格者として愛されたレジェンド
アースカインは野球の技術だけでなく、その素晴らしい人格でも知られていました。チームメイトやファンに対して常に紳士的であり、引退後も地域社会に貢献し続けた人物です。彼のような立派な選手が長く17番をつけていた事実は、ドジャースの背番号文化において非常に大きな意味を持っています。
2024年に惜しまれつつこの世を去りましたが、彼の功績は今も色褪せることはありません。現在のドジャースタジアムでも、古くからのファンは17番を見るたびに彼の優雅な投球フォームを思い出すと言われています。アースカインは、まさに17番の歴史における「原点」とも呼べる存在なのです。
次世代へ繋がれたドジャース魂
アースカインが築いたエースの座は、その後の投手たちにとっての目標となりました。彼が引退した後も、17番を着用する投手たちは「アースカインのような信頼される投手になりたい」という思いを少なからず抱いていたはずです。名門球団の伝統は、このようにして個々の選手の背中を通じて継承されていきます。
彼が活躍した時代は、まだテレビ中継が一般的になり始めたばかりの頃でしたが、ラジオを通じてその活躍は全米に響き渡りました。ブルックリンの街中が彼の勝利に熱狂した光景は、ドジャースの歴史の中でも最も美しい一ページとして語り継がれています。
ファンに愛された正捕手A.J.エリスとエースとの絆

2010年代、ドジャースの17番は「信頼の証」としてファンの間で親しまれていました。その中心にいたのが、キャッチャーのA.J.エリス選手です。彼は派手な成績こそ少なかったものの、その献身的なリードで投手陣を支えました。
最強左腕カーショウとの名コンビ
A.J.エリスを語る上で欠かせないのが、絶対的エースであるクレイトン・カーショー投手との関係です。二人は公私ともに仲が良く、カーショーが登板する試合ではエリスがマスクを被ることが通例となっていました。エースからの絶大な信頼を得ていたことが、彼の選手としての価値を何よりも物語っています。
投手の長所を引き出し、苦しい場面で的確なアドバイスを送る彼の姿は、まさにチームの司令塔でした。17番を背負ったエリスがホームプレートの後ろで構える姿は、ドジャースファンにとって大きな安心感を与えるものだったのです。彼は数字に表れない部分で、チームの勝利に多大なる貢献を果たしました。
ファンを魅了したキャラクターと情熱
エリスは非常に勉強熱心で、対戦相手のデータを完璧に頭に叩き込んで試合に臨むことで知られていました。また、常にチームの勝利を第一に考える姿勢は、ファンからも熱烈に支持されていました。彼がトレードでチームを離れることになった際、多くのファンやチームメイトが涙を流したエピソードは有名です。
ドジャースというスター軍団の中で、エリスのような「職人肌」の選手が17番をつけていたことは、背番号の持つイメージをより深いものにしました。野球は個人の力だけでなく、支え合う絆が重要であることを、彼はその背中で教えてくれたのです。現在でも彼の貢献を称えるファンは少なくありません。
A.J.エリスは引退後も球団のフロント入りするなど、ドジャースとの縁が深い選手です。彼の野球に対する真摯な姿勢は、今の現役選手たちにも良い影響を与えています。
捕手としての17番の系譜
エリス以外にも、ドジャースの17番をつけた捕手には名選手が存在します。1988年の世界一に貢献したリック・デンプシーなどもその一人です。投手と密にコミュニケーションを取るポジションである捕手が17番をつけることで、この番号には「チームの頭脳」という側面も加わりました。
エリスが去った後も、17番にはその精神が息づいています。一つ一つのプレーに全力を尽くし、仲間のために汗を流す。そんなドジャースらしい野球を象徴する番号として、A.J.エリスの時代はファンにとって忘れられない記憶となっているのです。
背番号17を譲ったジョー・ケリーとポルシェの贈り物

2023年末、ドジャースの17番は大きな転換点を迎えました。それまでこの番号をつけていたジョー・ケリー投手が、新加入の大谷翔平選手に番号を譲ったエピソードは、野球界を超えて大きな話題となりました。
「Ohtake17」キャンペーンと家族の愛
ジョー・ケリーの妻であるアシュリーさんは、大谷選手がドジャースへの移籍を検討している際、SNSで「Ohtake17」というキャンペーンを展開しました。これは「大谷選手がドジャースに来てくれるなら、夫の背番号17を喜んで差し上げます」というユーモア溢れる招待状のようなものでした。
アシュリーさんは、自宅にある17番のユニフォームやグッズを整理する動画を公開し、世界中のファンの笑いを誘いました。この明るく温かい歓迎ムードは、大谷選手がドジャースを選ぶ際の一助になったと言われています。ジョー・ケリー自身も「彼のような偉大な選手のためなら、番号を変えることに迷いはなかった」と語っています。
大谷選手からのサプライズプレゼント
背番号を譲り受けた大谷選手は、そのお礼として驚くべき行動に出ました。なんと、ケリーの妻アシュリーさんに高級車ポルシェを贈ったのです。ある日、ケリー家の前に届けられた新車のポルシェに、アシュリーさんが驚き喜ぶ様子は動画で拡散され、瞬く間に世界中でニュースとなりました。
このエピソードは、大谷選手の義理堅さと、ケリー一家の心の広さを象徴する出来事として語り継がれています。背番号の受け渡しがこれほどまでに華やかで、かつ心温まるストーリーになった例は過去にほとんどありません。この出来事により、ドジャースの17番は「友情と敬意の証」という新たな意味を持つようになりました。
【背番号譲渡にまつわる素敵な話】
・ケリー家は大谷選手を家族のように歓迎した
・大谷選手は感謝の気持ちを最高の形で表現した
・ジョー・ケリーはその後、背番号99で新たな活躍を見せた
ジョー・ケリーという選手の魅力
ケリー自身も、マウンド上での荒々しい投球スタイルとは裏腹に、非常にチーム思いで陽気な性格の持ち主です。ドジャースのムードメーカーとして長年愛されてきた彼が、自らの番号を快く譲ったという事実は、彼の器の大きさを物語っています。
彼はその後、2025年シーズンをもって惜しまれつつ現役を引退しましたが、ドジャースファンにとって彼は永遠のヒーローです。17番を譲ったことで大谷選手の伝説が始まり、そのきっかけを作ったケリーもまた、ドジャースの歴史に深く名を刻むことになったのです。彼らの友情は、チームの結束を強める大きな力となりました。
日本人選手として道を切り拓いた石井一久の活躍

大谷翔平選手が17番をつけるずっと前、2000年代初頭にもこの番号でドジャースのファンを沸かせた日本人投手がいました。それが、左腕の石井一久投手です。
メジャー1年目からの鮮烈なデビュー
2002年にヤクルトスワローズからドジャースに移籍した石井一久は、背番号17を選択しました。彼はデビューから圧倒的な奪三振能力を披露し、瞬く間に先発ローテーションの一角に食い込みました。特にデビュー戦での好投は、ロサンゼルスのファンに強烈なインパクトを与えました。
石井はドジャースでの3年間で合計36勝を挙げ、左のエース候補として活躍しました。独特のゆったりとしたフォームから繰り出される速球と、鋭く曲がるスライダーはメジャーの強打者たちを翻弄しました。彼が17番をつけてマウンドに立つ姿は、当時の日本の野球ファンにとっても誇らしい光景だったのです。
波瀾万丈なシーズンと不屈の精神
石井のドジャース時代には、打球が頭部を直撃するというショッキングなアクシデントもありました。しかし、彼はそこから見事に復活し、再びマウンドに戻ってきました。その不屈の精神は、現地のメディアやファンからも高く評価され、17番は「困難に立ち向かう強さ」を持つ番号としても認識されました。
また、彼のマイペースで独特なキャラクターは、チームメイトからも愛されていました。言葉の壁を越えて周囲と打ち解け、マウンドでは淡々と仕事をこなす。そんな彼のスタイルは、ドジャースにおける日本人選手の成功例として、後の選手たちの道を切り拓くことになったと言えるでしょう。
大谷選手へと続く日本人17番の系譜
石井一久から大谷翔平へ。ドジャースの17番が日本人選手によって二度も輝きを放っていることは、非常に興味深い巡り合わせです。石井が築いた足跡があったからこそ、ロサンゼルスの地には日本人選手に対する敬意と期待が土壌として存在していました。
同じ番号を背負い、同じマウンドに立つ。時代は違えど、二人の日本人投手がドジャースの歴史に17番を刻んだことは、日本の野球ファンにとって特別な意味を持ちます。石井の活躍を知ることで、大谷選手が背負う17番の重なり合う歴史をより深く楽しむことができるでしょう。
新たな伝説の幕開けとなった大谷翔平の背番号17

そして現在、ドジャースの17番は野球界の至宝、大谷翔平選手の代名詞となりました。2024年に加入して以来、彼はこれまでの常識を覆すような活躍を見せ、この番号を神格化された存在へと押し上げました。
歴史を塗り替えた驚異のパフォーマンス
ドジャースに移籍してからの大谷選手は、まさに「伝説」そのものでした。2024年シーズンには、メジャー史上初となる「50本塁打・50盗塁(50-50)」という前人未到の金字塔を打ち立て、全世界を熱狂させました。彼が放つ一打一打がドジャースの歴史となり、17番のユニフォームは世界中で飛ぶように売れました。
さらに、右肘の手術から復帰した2025年シーズンには、再び投手としてもマウンドに上がり、二刀流の完全復活を果たしました。バッターとしてホームランを量産し、ピッチャーとして100マイルの速球で三振を奪う。その姿は、かつてのどの17番着用者とも異なる、唯一無二の輝きを放っています。
ドジャースタジアムの新たな象徴
今やドジャースタジアムに行けば、右を見ても左を見ても17番のユニフォームを着たファンであふれています。大谷選手は単なる一選手ではなく、球団の顔、そしてロサンゼルスの街の象徴となりました。彼がプレーする姿を見るために、世界中から観光客が訪れるようになり、17番は一つの文化現象となっています。
大谷選手自身も「17番は自分にとって特別な番号」と語っており、この番号を背負ってドジャースで優勝を果たすことが最大の目標となっています。彼がチームにもたらした勝利への執念とポジティブな影響力は、歴代のどの選手にも負けないほど強力なものです。17番は今、かつてないほどの黄金期を迎えています。
2024年のワールドシリーズ制覇の際、大谷選手が17番のユニフォームを誇らしげに掲げた姿は、多くのファンの涙を誘いました。
未来へ語り継がれる永久欠番への道
これほどまでの功績を残している大谷選手ですから、将来的にドジャースの17番が永久欠番になることはほぼ間違いないでしょう。かつてカール・アースカインが築き、A.J.エリスが守り、ジョー・ケリーが繋いだバトンは、大谷翔平という不世出の天才によって最高の終着駅に辿り着こうとしています。
私たちが今、リアルタイムで目にしている17番の活躍は、数十年後には伝説として語られることになります。ドジャースの17番歴代史の中で、大谷翔平の章は最も厚く、最も光り輝くものになるはずです。これからもその一振りと一投から目が離せません。
ドジャース17番の歴代史が紡ぐ野球のロマンまとめ
ここまでドジャースの背番号17にまつわる歴代の物語を振り返ってきました。1930年代の黎明期から始まり、カール・アースカインが築いたエースの伝統、A.J.エリスが示した仲間との絆、そしてジョー・ケリーの粋な計らい。これら全てのピースが合わさって、現在の大谷翔平選手へと続く輝かしい道が作られました。
背番号17は、単なる数字ではありません。それは、ドジャースという伝統ある球団が守り続けてきた情熱の結晶です。歴代の選手たちがそれぞれの時代で全力を尽くし、ファンを熱狂させてきたからこそ、今の17番には特別な重みと魅力が備わっているのです。日本人のパイオニアである石井一久投手の貢献も忘れてはなりません。
次にドジャースの試合を観戦する際は、ぜひ選手たちが背負う番号の背景にある歴史に思いを馳せてみてください。大谷選手が放つホームランも、かつての名選手たちが繋いできた17番の魂が後押ししているのかもしれません。ドジャース17番の物語は、これからも新たな伝説を刻みながら、未来へと続いていくことでしょう。



